コムニタスとは?
コムニタスとはラテン語communitasが語源です。
京都コムニタスの名前の由来についてはこちらの塾長コラムをご覧ください。
非日常的人間関係のあり方。
人はときに社会的地位や役割から自由な非日常の世界に身を投じて自己の再活性化を果たす必要がある。
ここに人はいつも自由に集まる。ルールは最低限度。そして日常の価値を見直し、再構築する。
今までの自分をリセットし、新たな自分を作るための準備をすることができる環境。
この環境で学び、巣立った塾生たちが、自立していき、 また新たなコムニタスを自分たちなりに創造し、この京都をはじめとする地域社会に貢献していくという願いが込められています。
文化人類学者のV.ターナーがこの言葉をどのような意味で使ったかを端的に言えば、まだ組織が確定されていない状態。そして、自然に人が集まった状態。まだコミュニティと呼べない状態の人間の集団を指します。
この空間こそが、人が成長したり、力を発揮するためにもっとも有効なのです。制度化されすぎると、人は成長しません。制度からもれた人は傷つきます。コムニタスは、傷ついた人にとって、癒しの空間でもあります。
ターナーは例えばインドのカーストをコムニタスの対義として指摘します。カーストは高度に組織化されており、ほとんど反論の余地なく、社会システムを構築してしまいます。仏教が生まれた2500年前、インド社会は現世に絶望する人が多く、来世にのみ期待する風潮が強かったと言われています。
集団がコミュニティとして定式化すると、ルールが名目、暗黙いずれもできあがり、時としてそれは、時代の為政者の都合だけで設定されることが多く、多くの人にとっては生活しにくい状態と言えます。その組織は「必衰」です。一方、定式化されていないコムニタスであれば衰退もしないという願いも込められています。そして、そのコムニタスであれば、ルールもそれほど作らなくてよいという状態を保てます。実際、当塾でほとんど細かいルールを作りません。それが他社には不可能とも言える個別対応を実現しています。スタッフ一堂の申し合わせとして、塾やスタッフのためのルールは作らない。生徒の利益になるルールなら作ろうというものがあります。ルールが少ない分、生き物としてのコムニタスを育てようというのが京都コムニタスの名前の由来です。