「あきらめない」

 今年も秋入試が終了しました。
月並みですが、一年があっという間に過ぎてしまい、カレンダーを見る度に愕然とします。
受験結果は今年も大変良い結果が出ており、塾としても胸を張れる成果と自負しております。
また「合格速報」「合格体験記」をホームページに掲載しておりますので、是非見ていただきたいと願っています。
毎度のことながら、塾生の努力する姿には頭が下がる思いです。

 
最近この「塾長メッセージ」が結構読まれていることを(読んでもらうために書いているのですから当たり前ですが)遠くは関東圏の人も含め、あちらこちらから聞かされています。
内容の充実を目指さねばならないとは思うのですが、受験が終わるまでは、やはりなかなか書く時間が取れないのが現状です。
それでも読んでくださる方がいるというだけで、あきらめずに私たちの現状や考え方を伝えていきたいという気持ちが強くなっていきます。

 今年の秋入試に際して、いくつかの出来事も手伝って、私が塾生たちに繰り返し言った言葉があります。
それは「あきらめないこと」です。
もちろん今年の塾生が例年に比してあきらめやすかったからということではありません。しかし、研究計画作成等で最善を尽くしきらなかった人がいたことも事実です。
 
この「あきらめないこと」というのは、決して精神論ではなく、自己分析と大きく関わります
自分に対して適正な関心を抱き、最後の最後まで自分にとって最も利益となる方法を考え抜くことです。
コムニタスでは受験前日まで塾生と英語の読み合わせをしたり、面接の打ち合わせをしたりするのが通常です。
ですからモチベーションを切らさずに受験に臨むことができています。
しかし、どこかの時点で、あるいは何かの種目であきらめてしまうと最後の数日で大きな差がついてしまいます。
受験ではよく言われることですが、伸びる人は受験直前で別人の如く変化します。
しかし、どこかで意識を切ってしまうと、その人の成長はとまってしまうのです。

 社会生活をおこなっていると、どうしても「しょうがない」「どうすることもできない」ことは多々あります。
時にはこのように割り切った方が合理的であることもあります。
極端な例としては、空を自力で飛んだり、100メートルを5秒で走るのは、まず人間の能力では実現は難しいと思います。
どんなに訓練しても人間は道具なしで3メートルの高さを飛び越えられた記録はありませんし、この夏に出された100メートル走の脅威的な世界記録をもってしても8秒台には届きません。
したがって、もともと無理なことを「あきらめる」ことは根拠にもとづく行動と言えます。
しかし、その無理に思えることに挑み続け、人間の進歩として着実に歩を進める人もいます。
 スポーツの現役アスリートは、常に自分及び人間の限界を追い求めています。
それでも世の常として、いつかは肉体の限界を自覚し、一線を退くのですが、元100メートル日本記録保持者の朝原宣治選手は引退レースの直前インタビューで、「まだ9秒台(日本人未踏記録)をあきらめていない」と言っておられました。
これは何気ない一言のようにも聞こえますが、やはりそこには36歳まで日本のトップ選手として現役を続けて来られた矜持が見えますし、それだけ誠実に競技に向き合って来られたのだと思います。

 また医学者も同様のことが言えます。
医学は死に抗い続ける学問です。
もちろん現代医学は必ずしも不死を目標にしているわけではありませんが、いずれにしても人間は死ぬことを回避できません。
それを世の現実として、いかにして向き合うかを数々の宗教は説いてきました。
しかし、「どんなに頑張ったところで絶対無理なんだから、医学なんて無意味だ」と考える人は少ないでしょう。
医学の発展が日本人の平均寿命を世界最高水準にした一要因になっていることは疑いようもありません。
もちろん副産物として様々な倫理的な問題を生じています。
しかし、だからといって医学が我々に果たしてきてくれた役割の大きさが否定されることはないと言えます。

 それと比べると(不適切な比較かもしれませんが)、例えば研究計画で自分が最良と考えるものを作ろうとしないこと、あるいは不合格の不安に対する防衛なのか、「私なんて能力がないから」という発言等々は、よくあることかもしれませんが、非常に不誠実に見えます。
少なくとも大学院は、研究をする機関である以上、簡単に能力の限界を設定してしまう態度は不適切と言えます。
ましてや大学院を受験しようとする側が能力の限界を示してしまったのでは、「もう伸びません」と言っているようなものです。
もちろん大学院はそのような人は欲しくありません。

 「あきらめたらそこまで」というフレーズを、私は塾生に向けて非常によく使います。
あきらめるより先にやることがあるはずなのです。
それは、大雑把に言えば目標を正確に定めて、それに向けて誠心誠意力を尽くすことだと思います。
その目標に届くか否かは設定の仕方によりますが、届く目標(つまり受験など)にせよ、届かない目標(例えば世界記録など)にせよ、あきらめずにそこに向かうには相応の自己変革が必要です。
今までの自分を変えるには、自分のことをよく知っておく必要があります。
自分のことを知るとは、自分の能力、つまりできることと、できないことを正確に知ることです。
これを私は適正な自己評価と言っています。
「必要なことを必要なだけ過不足なく」という言葉はよく授業でも使います。
これは非常に難しいことですし、面倒なことだと思います。
そもそも自分のことはわかりにくいですし、むしろあまり正確に現実を直視したくない時もあります。
しかし、我々は常にその現実を意識しておく必要があると思います。
例えば英単語について、多くの人は「私は単語力がない」と言います。
ないならないなりの方法はたくさんありますが、それより先に具体的に何と比較して「ない」と言っているのかが曖昧です。
また、漠然と「ない」と言うことと、いくつ「ある」のかを考えることとでは、大事なのはむしろ後者です。
面倒ですが、「ない」という人は、自分の単語数を数えてみる必要はあると思います。
その手間をかけることが「あきらめない」第一歩になるのです。
この手間を惜しむことは、自分に対して良い結果をもたらしてくれないことは間違いありません。
それにも関わらず、「私には能力がない」などと口走るのは、自分に対してあまりに不誠実ではないでしょうか。
以上のようなことを私は塾生にわかって欲しいと願いました。
私たちはこのことをこれからも伝えていきたいと考えています。